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大阪堺市で陶芸教室『喜楽歩』を主宰する陶芸家八田亨の日常や作陶のヒント、作品を紹介します。
by kirakupo
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六勝
大晦日を超グータラ過ごしております。

昼過ぎに起きてきて起きたままのダルダルダルビッシュな格好で何をしているのかといいますと2日に友人が大阪より来てベタな金沢観光しますのでその下調べをしております。

「金沢出身」というと「いいとこやね~」とか「小京都」ってよく言われますが、何がいいのか何が小京都なのかさっぱり分かりません。

そもそも京都ってなんや?古い町並みが残っていればみんな小京都なの?
よく考えると「小」っていわれてるのが気に入らない。それぞれの特色があるはずなのに単にグレードが低いミニチュア版といわれてるような気がしてきた。


と、いうわけでいい機会なので金沢のいいところ探しをしています。


イタリア観光したときに思ったけど、もし僕らが外国人に日本のいいところを紹介するとなれば何をどう伝えるのだろう?


金沢といえばまずは「兼六園」でしょ。

外国の方によさが伝わるかどうかは別にして、金沢だけでなく日本の観光地の代表格。


でも、県外の人には

さんろくえん→それはジンギスカン

とか

しょくどうえん→それは焼肉屋

とか

ろくろくえん→わかりません

と間違えられます。今まで何人に突っ込みいれたか分かりません。


これは県内に住む人にとっては「富士山」を「富士子さん」といってるようなもの。

そんな奴おれへんやろ~~~。ルパ~~ンと言いたかっただけ。

話を戻しまして・・・


ちょっとウンチクもいってやろうとサイトを調べているとこれまで考えもしなかったけど「名前の由来」が分かった。兼六の六って何??

こういうことらしい・・・


優れた景観を「六勝」といい、それは[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)][蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」という記述があります。その伝えるところは、以下の通りです。「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)、奥州白河藩主・松平定信によってその名を与えられました。

なるほど・・・楽しみになってきました。

小学校の時に遠足で行った以来だと思います。

当時はいうまでも無く「こんなクソ面白くないところ・・・」と言う印象でしたが歳をとっていろいろ確かめてこようと思います。


さて、これから幼馴染と忘新年会です。モノゴコロ付いたときには一緒にいたって感じのメンツ。
精一杯飲んで、食って、笑ってこようと思います。

それでは良いお年を~~。


今日の一言
「今年一年お世話になりました。来年もよろしくお願いします。」





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by kirakupo | 2007-12-31 16:29 | 古き良き日本
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